情弱医学生の独り言

情弱医学生の頭の中。人生設計、お金、対人関係、日常などについて考えたことをつらつらと。

科学と信仰

どーも、情弱医学生です。

しばらく書いていなかったら、文章力落ちた気がする。時間が足らなくて途中までしか書いていません。

 

 

科学がもてはやされる現代でも、信じることは大切だ。

 

私たちは意図していなくても何らかの目的のために日々行動している。そのため、目的につながることにひたすら打ち込むべしという考えを持っている。逆に、目的につながらないことは許されない。大事な試験があるならば、そのために勉強を沢山するべきと考えている。ついつい関係ない掃除をして後悔するのは、試験で良い成績をとるという目的から外れた行動をとってしまったからだ。

 

目的の本質を探っていくと、コンプレックスの克服までたどり着く。人が日々行動するのは、つきつめると自分の足りないところを埋めようとするためだ。そして、その足りないところとは往々にしてお金か人間関係だ。

 

ここまでくると、今までの行動が本当に目的に沿うものだったのかが怪しく思えてくる。何かをしたら確実にお金が増えるあるいは人間関係が良好になるというようなことはないからだ。

 

試験が近づくとなんとなく勉強しなければという気分になる。あえて目的を想像するならば、あまりひどい点を取ると恥ずかしいとか、怒られるとかであろうか。つまり、勉強すればそのような展開を回避できると信じているのだ。

 

試験であれば試験範囲も決まっているしうまく行くことも多いが、社会に出てからはそうはいかない。問題の試験範囲もなければ、模範解答もない。これでは行動どうすればよいのか迷う人が多いのは当然だ。

 

 

 

制限時間が過ぎたのでここまで。

ルールのない現実で、お金と人間関係のコンプレックスを克服したいならば、人のために行動することと、自分が今やりたいことを信じぬくことが必要ということを伝えたかった。そのために、合理的な思考は邪魔になる。宗教でも精神論でも意地でも何でもいいから、無条件でよりどころになるものが必要になる。